Murakami Journal
演劇批評を中心としたエッセイ

7月16日舞台評2010

ニットキャップシアター第28回公演「ノクターンだった猫」
作・演出:ごまのはえ
舞台美術:西田聖


現実と虚構の溶解した世界

京都を拠点に活動するニットキャップシアターの第28回公演「ノクターンだった猫」を、大阪なんばの精華小劇場で観た。チラシには、この劇団主宰者の結婚記念公演とある。あの「夏の夜の夢」のような夢幻的な祝婚劇かと思ったが、ストーリーは、昨年、東京で実際に起きた「別れさせ屋」による殺人事件に、自分の結婚話や劇団員の極私的なエピソードをない交ぜにした、じつに陰鬱な物語だ。けれど、舞台は90分の上演中、時に笑いを誘いつつ、何とも奇妙な劇世界を醸していた。

すでにテレビや新聞でご存知と思うが、「別れさせ屋」の事件とは、夫に依頼された探偵が、その妻に浮気を仕かけて離婚させるが、そのまま彼女と関係を続けたあげく、殺害してしまった事件だ。
ニットキャップシアターという劇団の、作・演出家にして役者は、この愚かしい事件のいったい何に惹かれたのだろうか。

探偵といえば、ふつう尾行や盗聴や盗撮など当事者に無干渉の行動をする傍観者だ。けれど、この「別れさせ屋」は迫真の演技をもって当事者に接し、しかもみごとに成功している。

演劇を一生の仕事にしようと志す者にとって、この事件はその善悪をこえて、じつに妬ましくも悩ましい出来事だったにちがいない。なぜなら、演劇のリアリティとはあくまで舞台上の架空のものにすぎず、観客という他者の現実生活をつき動かしたという確かな手応えは得られないからだ。

しかも、この事件の被告はその演技に成功した後、自らその虚構の愛にのめり込み、ついにはその愛そのものを扼殺するにいたったのだ。
ここには、逆説的ではあるが、演劇がめざす究極のかたちが存在していないだろうか。

おそらくこの芝居の作・演出家にして役者は、そのように考え、作品を構想したにちがいない。

さらにいえば、演劇人としてスタートした時点で、自らに「ごまのはえ」というレッテルを貼った彼は、人間社会そのものがすでに虚構であり、演劇とはあたかも屋上屋を架するにひとしい営みにほかならないと、痛切に自覚していたにちがいない。
そうでなければ、自分たちの神聖な結婚という現実を、いつわりの愛を扱った虚構の舞台に挿入するという行為を、自らに課しはしなかっただろう。劇中、婚約者が激しく彼を非難するのは当然だ。自分たちの結婚への冒瀆だからだ。けれど、あえてそれを遂行したのは、現実と虚構の境界を無化したいという演劇人としての強烈な意志である。

若い男女の愛をモチーフにしたこの作品は、じつは現実と虚構が溶解したカタストロフィーの果ての世界を現出させようとする壮大な実験なのである。

この芝居の舞台が、外に雨が降り続いている深夜の喫茶店という設定もきわめて示唆的だ。水はあらゆるものの溶解の象徴なのだから。しかも、舞台中央には、水の惑星が宙づりにされているのだ。

最後になるが、この作家は、悲惨な物語を軽やかなユーモアによって変換させるのがじつに巧みだ。2年前に取りあげた「愛のテール」もそうだったが、彼の作品が、透明で夢幻的な世界を湧出させているのは、彼の演劇が西欧ニヒリズムをこえる仏教的世界観に支えられているからにちがいない。


東京公演:
8月6〜9日、こまばアゴラ劇場
問合せ先:ニットキャップシアター綿帽子事務所
090‐7118‐3396
e-mail:info@knitcap.jp




仏像の形態模写

花嫁

写真:竹崎博人
  1. 2010/07/24(土) 09:43:52|
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